簿記はどこでいつ生まれたのか、また日本にはどのように伝わってきたのか教えてください。 | |
簿記の起源はヨーロッパ中世、日本で複式簿記の導入は明治時代までさかのぼります。 簿記の歴史と共に簿記の誕生とその背景を詳しく見ていきましょう。 |
簿記の歴史は紀元前にさかのぼる
人類の歴史上、簿記を最初に使用したのは古代バビロニアの人々で、ハンムラビ法典の商法に記載された記述が起源と言われます。
年代は紀元前2,000年~紀元前1,700年頃とされますから、簿記は4,000年以上の歴史を持つことになるのです。
やがてその知識と運用方法はギリシャやローマなど、古代ヨーロッパで隆盛を極めた帝国にも広まります。古代ギリシャの繁栄を支えた貨幣経済は、簿記理論をベースとする会計記録の習慣がその一翼を担いました。
また、ヴェニス地方の商人たちは、ひとつの取引における借方と貸方を記載し、お金の流れを正確に記録していました。
いわゆる複式簿記の考えは、600年以上も前から使用されていたのです。
複式簿記が普及した背景
複式簿記の理論と実際を世界に普及させた功労者として、ふたりの人物が挙げられます。
①イタリア商人マルコ
イタリアで大商人として成功をおさめたマルコ氏は、古くより伝わってきた簿記会計の考えが、どのような過程で変遷し、今日の姿となったかを研究し、それに関する膨大な著述を残したことで知られます。
内容の多くは、自身が築き上げた会社における経理記録がベースとなっていました。
マルコ氏の会社は、経営状態を正確に把握するため、1年ごとに財務諸表を作成し、資産と負債をチェックしていました。当時イタリア商人たちの間でこの会計習慣を持っていたのはマルコ氏だけと言われます。
複式簿記に対する正しい理解があればこそ、資金状況が明快となり、会社を成功させて多くの富を築いたマルコ氏。
複式簿記の必要性を後世に残した彼の功績は大きいと言えるでしょう。
②「スムマ大全」を著したルカ・パチオリ
複式簿記を世界的に知らしめた人物として忘れてはらなないのが、ルカ・パチオリ氏の存在です。
彼は1494年にヴェネチア商人が採用した簿記の計算方法を事細かに紹介した「スマム大全」を書き上げ、複式簿記の普及に大きく貢献しました。
スマム大全には、財産目録の作成方法や、商人たちの会計記録が分かる日記帳、仕訳原理を生かした処理方法、事細かな決算項目まで、当時の簿記会計のバイブルと言える大作でした。
ルカ氏の著作が世界中に広まると、各国の商人たちはその手法を取り入れ、資産や借金の管理、会社運営に適用していきました。
簿記会計が今のように高度にシステム化されたのは、ルカ氏の著作によるところが大きいと言えるでしょう。
日本の簿記の歴史
日本においても、商人たちが活躍した江戸時代ではすでに、簿記会計の考えが定着していました。
しかし、取引の原因と結果を正確につかむ複式簿記の導入は、明治時代まで待つことになります。
西洋式簿記を紹介した福澤諭吉
西洋ではすでに会計処理の主流を占めていた複式簿記の理論を、翻訳本によって広めた人物がいます。
それは一万円札でお馴染みの福沢諭吉。
彼は、「帳合之法」と呼ばれるアメリカの商業学校で使われていた簿記教材を訳し、日本に複式簿記理論を紹介しました。
現在も用いられている簿記用語には、福沢翻訳によって生まれたものも多いと言われます。ちなみに福沢諭吉はこのとき、今の簿記に値する言葉を「帳合」と訳したとのことです。
明治政府が複式簿記を採用
福沢諭吉がアメリカの簿記テキストを翻訳して紹介したのと同じ頃、日本政府は明治9年大蔵省に「簿記法取調掛」を設置します。
明治11年に「太政官第42号通達」を出して複式簿記の正式採用を決定しました。
この通達に基づき、明治政府は地方の予算執行にあたり、全面的に複式簿記による記帳作業をはじめました。
ところが、明治14年日本銀行が設立されたことにより、中央銀行が国庫金を集中管理する仕組みへと移行。これを契機に国の収支管理は官庁会計となり、現在もその流れが続いています。
最後に
簿記の歴史は古く、会計基準の基本である複式簿記も、その起源はヨーロッパの中世までさかのぼります。
簿記会計の考えは、国や企業といった大きな組織の資金状況を明瞭化する意味において、普遍的価値があるといえるでしょう。
それだけに、経理業務に携わる人、または簿記検定にチャレンジする人たちの任される仕事の価値は大きいのです。