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私たちが「学習」を苦手とする理由

勉強が苦手で中々やる気になりません。苦手なものってどうしたらいいでしょうか?
「学習=強制」という発想から抜け出して、「好きなときに好きなだけ学ぶ」という自由な発想で取り組むようにしましょう。

「学びとは作業をすることであり、十分な努力やコントロールが強制されれば、すべてを学ぶことが可能である。学びとは努力の問題である。」

認知心理学者であるフランク・スミスはこのような考え方を学習に関する「オフィシャル理論」と呼んでいます。

オフィシャル理論に立てば学習者の興味とは無関係に学ばれるべき内容が定められ、
それを理解し覚え込むという強制的な作業こそが学習だということになります。

ちなみに何故「オフィシャル」なのかといえば、
この考え方がわずか100年ほど前に意図的に作り出されたものであるにもかかわらず
現在ではまるで公式な永遠の真理であるかのように人々の間に普及しているからです。
現在、私たちの常識として理解されている「学習・教育」の本質とは、こうした考え方だといえます。

では、なぜ、学習をこのような「強制」という要素を中心にして理解するようになったのでしょうか。
そこには歴史的な要請が強く作用しています。

今から100年以上前、産業革命が進行中だったヨーロッパにおいては効率化や組織化がなによりも重視されていました。
そこで、当時のヨーロッパで最も高度に効率化され組織化されていたプロシア軍に注目が集まりました。
そのプロシア軍で採用されていた軍事訓練方法が効率的で組織的な理想の教育方法だと高く評価されたのでした。
このようにして世界に広まっていったプロシア軍の軍事訓練方法こそが現代学習理論の元祖です。
プロシア軍の訓練方法の特質は機械的な標準化にありました。
なぜなら軍隊を効果的に機能させるためには兵士一人一人の創造性は不要どころがむしろ邪魔であり、
規律正しく均質的な集団になっている必要があったからです。

そして、当時の社会では産業界においても大規模機械工業が発展しつつある時代であり、
均質的で組織的な工場労働者が大量に必要でした。
そこで子供を将来の有能な工場労働者として育成するという目的で
当時の学校教育にもプロシア軍の訓練方法を元祖とする学習理論、すなわちオフィシャル理論が採用されたわけです。

こうした経緯で、学校教育において
「学びとは作業をすることであり、十分な努力やコントロールが強制されれば、すべてを学ぶことが可能」
という考え方が支配的になり、今では誰もがこの考え方をごく当然の前提と見做すまでに浸透しています。

この点については、もちろん日本も例外ではありませんでした。
わが国で義務教育制度が成立した明治時代は、まさに産業革命の波が押し寄せた時代でした。

明治政府は「富国強兵」を推し進める一方で、その担い手となるべき人材を育成するために
義務教育制度を次々と拡充していったのです。
もちろん明治以前にも制度的な教育は存在していましたが
国民の大部分をカバーするようになったのは明治時代になってからでした。

さらに、この点が重要ですが、明治政府は当時先進的と思われていた西欧の学習理論
つまりオフィシャル理論を義務教育制度の土台に据えたのでした。

その後、義務教育制度は繰り返し改革されて来ましたが、
学習のオフィシャル理論そのものに問題があるという認識は未だに教育界の共通認識とはなっていません。

このように歴史的背景があるために、私たちは「学習」を苦手と感じるようになっています。
しかし、「学習」は必ずしもオフィシャル理論に基づかなければできないというわけではありません。

「学習=強制」という発想から抜け出して、
「好きなときに好きなだけ学ぶ」という自由な発想で取り組むようにすれば、
「学習」に対する苦手意識を払拭することは可能なのです。