スタディング公務員講座の永田英晃先生は、受講生が自力で答えを導き出せるようなスキルを身につけられるような講義を心がけていらっしゃいます。なぜそのような講義をされるようになったのか、また、聞く人が思わず惹き込まれるような話術はどのように身につけてきたのか。過去のお話から将来チャレンジしたいことまで、幅広く永田先生にお話を伺いました。
実は、講師の仕事をするようになったのは完全に「成り行き」です。
教える仕事をしようと思ったことは一度もありません。もともとは芸人を目指していたんですよ。漫才や浪曲など、舞台で何か芸事を披露するような仕事を目指していたんです。意外かもしれませんが、一時期は浅草で芸人をやっていたこともあるんです。
ただ、私が芸人をしていた頃は、観客よりも演者のほうが多いくらいでした。戦後間もない時期は、北海道以外のすべての地域でラジオの聴取率(テレビでいう視聴率のようなもの)の第1位が浪曲だった時代がありました。しかし、現代に向かうにつれて衰退していったことから、人気と言うものは長くは続かないんだなと悟りました。
せっかく身に付けた話芸をどこかに活かせないかと考えて、行きついた先が資格の予備校や塾だった、という訳なんです。
私が大学受験生だった頃は、受験勉強で培った知識が後の時代にも活きるような教育が主流でした。一方、最近はどちらかというと受験のテクニックだけを教えて、受験が終わったらさようなら、という風潮になっていることに問題意識を感じています。
私は、大学生から社会人になる、この時期が人生にとって一番重要な時期だと思っています。そこで、受験が終わった後の人生にも役立つような話を彼ら・彼女らにしていきたいと考えたことから、資格の予備校や塾にフィールドを移していった、という意味合いが大きいですね。
でも、最初の頃は「教える」というよりも、「話芸を披露する」という感覚に近かったです。大学受験予備校に通っていた時代に、「こう説明するとわかりやすい」「こう説明するとおもしろい」と研究したことを、そのまま発表していました。
教員志望の同僚からは、「くだらない話ばかりしていないで、もっと生徒のためになる話をしてください」と怒られたこともあります(笑)。
子どもの頃は、映画「男はつらいよ」に出てくる寅さんの啖呵売(たんかばい)や浪曲の台本、横山やすし・西川きよしの漫才を台本に起こしたものを暗記したりもしていましたね。
話すときには、余白の取り方も重要です。浪曲師の東家三楽(4代目)先生はかつてこうおっしゃっていました。「演者は台本の筋書きを知っているから次から次へと進んでしまう。しかし、お客さんは初めて聞く話なので、(お客さんが)理解するための間を作らなければならない」と。
たとえば、熟年の芸人は面白いことを言ったあとに「ここで笑う」という絶妙な間があります。しかし、最近の芸人は一方的に覚えたことをまくしたてるだけで、笑う隙間もありません。そうなると独りよがりのように聞こえてしまうので、お客さんに自分の話を理解してもらい、笑ってもらえる間を作るということは、自分の話を聞いてもらう上で非常に大事なことなんですね。
少人数の教室で授業をすることですね。
マイクを使うような200人以上の規模の授業や映像授業などでは、自分がぐいぐい引っ張って雰囲気を作っていけるので得意なんです。一方、マイクも使わず、生徒たちの様子を見ながら進めるような少人数の授業は非常に苦手です。
これは、私が高校時代に受けた教育が原因だと考えています。私の通っていた高校は織田信長に所縁のある地域にあり、信長の「泣かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」という伝統を受け継いでいるような学校でした。テストの点数が悪いとクラス全員の前で点数を読み上げられる上に暴力を振るわれたり、自主参加であるはずの補習に出席しないと強制的に退学させられたりしていました。
まさに、力ですべてを解決し、従わないものは見せしめにされるような学校でしたね。当然ながら、そういう学校にいる生徒はすっかり怯えきって委縮してしまい、解ける問題も解けない状態になっていました。
その頃の記憶が絶えずどこかにあるので、少人数の教室では生徒をあてるときに、生徒に威圧感を与えてしまうような気がして、ためらってしまうんです。だから、満足度アンケートを見ると、大人数のクラスでは高い評価をいただけるのですが、少人数クラスでは平均以下という散々な結果になってしまいます。それが、少人数の授業を苦手とする理由です。
苦労や困難は立ち向かって乗り越えるもの、というのが世間一般の考え方かもしれませんが、そもそも「苦労や困難には立ち向かわない」というのが私の考え方です。
よって、苦手な少人数のクラスの授業は一切受けずに、マイクを使う授業に専念することにしています。
よく受講生にも言うのですが、努力しないと結果が出ないフィールドは自分に向いていないのだから早々に諦めたほうがよいですね。
努力しなくても自然と結果がついてくる領域、つまり自分に向いている領域に特化したほうがよいと考えています。
今は、たまたまちょっと成功したからと言って、同じことを繰り返していられる時代ではありません。新しいものにどんどん移り変わる現代には、時代に合わせて柔軟に新しいものを提供していくことが要求されるのではないでしょうか。
私自身、任天堂のプログラマーだった父から、「次の時代はどうなるかを予測して行動しろ」と幼少期から叩き込まれて育ちました。5年後10年後に何が主流になってくるのかを考えて実践することで、未来の先頭を歩いて行くことができる気がします。
私が高校時代に大きな影響を受けた三波春夫さんも、常に新しいものを求めていた方です。たとえば、今でこそ珍しくありませんが、着物でステージに立って歌った歌手は三波春夫さんが初めてだったんです。昔は「歌手はタキシードを着て歌うものだ」というのが常識だったのですが、着物で出演することを奥様がすすめたそうです。
レコード会社の人たちは大反対したそうですが、いざ三波春夫さんが着物でステージに出てみると拍手喝采。レコード会社の人たちも「やっぱり日本人は和服に限る」と態度を豹変させた、というエピソードが残っています。
三波春夫さんほどの大物の方でも、その時代のしきたりにとらわれずに、常に新たな挑戦をされていたことがわかるエピソードだと思います。
いかに時代が進んでも、平安時代も江戸時代も今の令和の時代も使える普遍的な思想や哲学は変わりません。
「温故知新」という言葉もあるように、古くからある普遍的な思想や哲学の中に、新しいものを生み出すためのヒントがあるのではないかと考えています。
だから私も、一過性のブームに乗って大量生産されて使い捨てられるものではなく、何年か後にもう一度立ち戻って見直してもらえるものを作っていきたいですね。
「教える」の神髄は「教えない」ことです。
皆さんの中には「人に教える」とは、先生がマニュアルに則ったことを「この通りにやりなさい」とそのまま教えることだと思っている人も多いかもしれません。
しかし、先生や講師の立場の人間はあくまでも教えられる側が学ぶきっかけを与えるための存在にすぎません。
芸人の世界では、師匠は弟子に芸を一切教えないんですよ。弟子は師匠のそばで身の回りの世話をしたり、会話をしたりすることを通じて、師匠の考え方や間の取り方を学びます。
そこから、自分のオリジナルの芸を構築していくのです。
先生や講師から1から10を教わることができたとしても、所詮は先生の教えを単にパクっているだけ。
芸人の世界と同じで、先生や講師が1から10まで教えるのではなく、一番大事な1~2だけ教えて、あとは生徒自らが自主自立の姿勢で学んでいく。そうすれば、生徒は自分なりの才能やスキルを獲得していけると考えています。
今後はますますAIが台頭する時代になると思いますが、逆にものごとの本質を教える教育が再びスポットライトを浴びるようになるのではないかと予想しています。
私も、公務員試験の講座を通して、受講生の皆さんに人生の先々でも役に立ててもらえるようなものを伝えていきたい。そういう思いを強く持っています。
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永田 英晃 (ながた ひであき) プロフィール
愛知県名古屋市出身。名古屋大学卒業。 河合塾などの大手大学受験予備校にて医系講座、東大講座を歴任し、公務員試験対策予備校でも国家公務員総合職講座など常に最高レベルの担当してきた。様々な啓発技術を融合したオリジナル指導を実践し、最大手予備校模試での全国1位や、都内トップ高校での学年1位などを輩出。東京大学や京都大学をはじめ多数の生徒を合格へと導く。その後、首都圏有名高校にて東京大学進学にむけての指導講習を実施。 現在は主に公務員試験対策、就職試験対策、教員採用試験対策、キャリアコンサルティング、教員向け研修の講師を務め、抜群の合格率・内定率を誇る。首都圏を中心に北海道、北陸、中部、関西など日本全国の大学にて講座を受け持っている(登壇実績約70大学)。 一方で、後進を指導するのみならず、自らも東京都特別区社会教育関係登録団体の代表や一般社団法人東京和文化協会の代表理事を務め、地域コミュニティ形成・日本文化振興に向けての公益活動に積極的に取り組んでいる。 関連リンク:「学びの教科書」 |